【十二国記】心に鞘はいらない/私が相手を信じることと 相手が私を裏切ることとには何にも関係が無かったんだ

名言集
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十二国記の名言を集めてみました。

注:解説などネタバレが一部含まれてますのでご注意下さい。

心に鞘はいらない

 

時に私の思うとおりにならず

見るのをつらいものを見せる

それは私の心なのです

心に鞘はいらない

引用:十二国記 第39話より

 

解説

注:ネタバレが含まれますのでご注意下さい。

慶国の王になった陽子は、「赤子のような王(せきし)」と官に蔑まされながら、王となった自分自身にいまいち自信が持てないまま日々を過ごしていた。何も知らないことを恥じる陽子は、国情や世の中のことを知るため、市井(しせい)に身を投じながら、ある老子のもとを訪れることとなった。

そこで陽子は様々なことを学ぶとともに、慶国がいかに乱れており人民が苦しんでいることを知ることとなる。そして、陽子は慶国を乱しているのが、国の要職に就いている靖共(せいきょう)を含めた一部の官職による私利私欲による圧政が原因であることを知る。

国を善くしたいと思う人達とともに行動を始める陽子はその騒乱に巻き込まれていく中、自分自身が少しずつ進むべき道が見えてくることとなる。自分の進むべき道が見えてきた陽子は靖共(せいきょう)を含めた官職達の悪行を暴き、みごと慶国を善くするための第1歩を踏み出すこととなる。

慶国を改革し、善くしていくためにも自分に多くのことを教えてくれる師を欲しいと思った陽子は、市井の中で学んだ老子に自分の師として、また国政の要職につくことを要請する。国政の要職をつくことを快諾した老子は、壊れていた剣の鞘を仕立て直すことについても懐かしんでいる最中、その老子がかつて慶国に仕え善政を手助けした老松という人物であることを明かすこととなる。そ老松は慶国秘蔵の剣を納めるための鞘をつくった人物でもあったのだ。

鞘を仕立て直すことを懐かしむ老松

懐かしんでいる老松に向かい、陽子は鞘を仕立て直すことについては「いや、鞘はいりません」と言う。疑問に思う老松に対し、陽子はその理由に

「自分の心に鞘はいらない」

と言い、自分の弱い部分を隠すのでは受け入れることを選択したのであった。陽子は様々な出来事や人との出会いによって、人が一人の人間として自信を持って生きていくためには、いかに自分を受け入れていくことが大切であるということに気がついたのだと思います。自分の心を隠しているだけでは、自分自身を認めてあげることは難しく、また他人に対しても認めてあげることは自分以上に難しいのだと思います。

伏礼の強制や権力によって人を抑え込むということは自分自身を認めていないことの裏返しでもあり、こうしたことを嫌がり無くしたいと思った陽子はその思いといして

「自分の心に鞘はいらない」

という言葉に誓ったのだと思います。

私が相手を信じることと 相手が私を裏切ることとには何にも関係が無かったんだ

 

裏切られたっていいんだ

裏切ったって裏切ったやつが卑怯になるだけだ

私は死なない 卑怯者にもならない

善意でなければ信じられないか

相手が優しくしてくれなければ優しくしてはいけないのか

そうではないだろう

私が相手を信じることと 相手が私を裏切ることとには何にも関係が無かったんだ

そうだ私は一人だ

だから、私のことは私が決める

引用:十二国記 第7話より

 

解説

陽子は路頭に迷った末、倒れたところを楽俊(ネズミの半獣)に助けられることとなる。さんざん人に裏切られた陽子は楽俊の優しさを素直に受け止めることが出来ずにいる中、旅の途中に妖魔に襲われることになる。楽俊は傷つき、陽子は妖魔は倒したものの、憲兵に捕まるのではないかという疑心暗鬼から逃げ出すこととなる。

逃げ出した陽子であったが、再び楽俊のもとに戻ろうと引き換えした時、猿のような幻影が再び現れ、陽子の心の中を乱す。そんな時、「良かった・・」と涙し陽子はふと素直な自分に戻ることが出来た。そうした時、猿の幻影の言葉に打ち勝ち

「私が相手を信じることと相手が私を裏切ることとには何にも関係が無かったんだ」という、他人の目を気にしすぎたばかりに自分を見失っていたことに気がついたのであった。

猿の幻影と対峙する陽子

これは「7つの習慣」の第1の習慣である「主体的である」ことの大事さを物語る名言でもあると思います。他人が自分のことをどう思うかということは変えられることは出来ず、それに執着してしまうと自分を見失ってしまう原因にもなります。まずは自分がどうしたいのかということが最も大切なことであり、そのことが人生をより良くしていく第1歩なのではないかと思います。

 

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