人は平等ではない~これからの教育に必要なこと~

子育て
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人は平等ではない

生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者、生まれも才能も、人間は皆違っておるのだ。

そう、人は差別される為にある。

だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。

不平等は悪でない、平等こそが悪なのだ

コードギアス シャルル・ジ・ブリタニア 名言より

不平等は悪でない

シャルルの言葉の通り、「人は平等でない」ということは当たり前のことのような気がしますが、考えてみると意外と奥が深いことだと思います。

動物や植物でも様々な種類が存在し、食物連鎖や弱肉強食が常である現在の世界において、人間だけでなく全ての生き物が不平等な状態で存在しています。このため、平等ということこそがそもそも異常なことであるといえます。生き物だけでなく、この世は「差」があるからこそ正常に機能しているといえます。例えば自然界では、気圧や気温の差によって風や雨が発性します。こういった天候の変化によって生物は住みやすい状態がつくり出されているのです。

つまり不平等は「悪」でなく、不平等な姿こそ自然な状態だということなのだと思います。

平等という名の偽善

平等というものは概念としては立派に聞こえますが、「平等」を高々に訴える人達は何かの目的のために意識的に行動しているといえます。例えば、だれかが不利益を被っている場合、それに対して不満を感じている人達が「平等」という言葉を使ってその不平不満を解消しようとしているということなのです。

平等ということは、得をしていると思われている人たちが損をしていると感じている人たちに合わせるということです。「平等」という言葉を使った人たちは得をすることになるかもしれませんが、このことによって損をしている人達が存在することになります。

つまり、本当の意味での平等など存在しておらず、平等とは誰かの損得のための偽善に過ぎないということなのだと思います。

平等と教育

例えば、ゆとり教育で実施されていた「みんな一等賞」は本当に平等なのでしょうか。子供が傷つくからと頑張ったことに順位をつけないのは本当に良いことなのでしょうか。

子供は本来、

「男の子と女の子は何でちがうの?」「あの子の腕にアザがあるよ」 「あの子の言葉使いがへんだよ」

など数多くの疑問を持ちます。違いをひとつずつ知り、理解しようとしています。それが良いことであっても、悪いことであってもです。そして、能力的なものにも違いがあることを理解しようとします。

それが自然なことであり、自分という人間を理解するために必要なことであるからです。それを他の子と同じようにという一方的な「平等」を押しつけることは子供の人格形成の成長の妨げになってしまう危険性すらあるかもしれません。

社会は平等でない

子供達に平等を押しつけたとしても、社会は平等に出来ていません。特に仕事という成果が求められる場所では、それが顕著になります。

能力の無い人が高い能力を求められる職場に配属されても、成果を出せないだけでなくつらいだけにしかすぎません。また、成果を出せないだけでなく大きな損失を出してしまう危険性すらあります。

逆に能力の無い人に合わせた仕事内容にしてしまうと仕事自体が成立せずに社会が崩壊してしまいます。つまり、現代の社会は不平等を前提として成立していると言ってよいのだと思います。

まとめ

私は、不平等だからこそ人は頑張り成長することが出来ると考えています。

それを、さもかし善人面して正しいかのように「平等」という言葉を使ってくる人はどこか信用が出来ないのではないでしょうか。政治家やテレビのコメンテータなどはこうした甘い言葉を使用してきますが私たちはその裏に隠された意図についてしっかりと考える必要があります。

そして、子供達の成長においても単に平等という言葉を使うのではなく、その子その子に合わせた教育をしていくことは非常に大切なことです。競争はダメなことではなく、勝ち負けという結果や事実により、次にどうしていくべきかという機会がを得ることが出来ます。大切なことは、その結果を受けて何を考え次にどう行動していくかです。

教育とはその連続なのだと思います。そのためにも人は不平等であるということを親も子供もしっかりと認識することが大切なのではないでしょうか。

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