「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」
この歌詞の内容が賛否両論を呼び話題になったことがありますが、この言葉をそのまま受け取っていけません。この曲を聞き終えると「死を考えてみることで、命の大切さを知ってほしい」という森山直太朗さんの優しさにあふれたメッセージを感じ取れるのではないかと思います。
生きていることが辛いなら 歌詞
作詞:御徒町凧作曲:森山直太朗
生きていることが辛いなら いっそ小さく死ねばよい
恋人と親は悲しむが 3日と経てば元通り
気がつきゃみんな年取って 同じとこに行くのだから
生きていることが辛いなら わめき散らして泣けばいい
その内夜は明けちゃって 疲れて眠りにつくだろう
夜になくのは赤ん坊だけってきまりはないんだし
生きていることが辛いなら 悲しみをとくと見るがよい
悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で 掴み取るんじゃなく守るといい
何もないとこから 何もないとこへと
何にもなかったのように めぐる命だから
生きていることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場
生きていることが辛いなら くたばる喜びとっておけ
「生きていることが辛いなら」に込められた想い
「生きていることが辛いなら」の歌詞には、死にたいと思ったことから自分を立ち戻させてくれるヒントが沢山つまっています。それでは「生きていることが辛いなら」の歌詞に込められた想いについて考えてみたいと思います。
自分の死の影響を考えてみる
もし、自分が死んだらどうなるのでしょうか。親、家族、恋人の悲しみは、3日と経てば元通りというわけにはいかず、数年単位で徐々に受け入れていくことになります。それほど人ひとりの命は重たく、とても大切なものではないでしょうか。
しかし、ここでのメッセージはそういうことではないのだと思います。自分が悩み苦しんでいることは、他人から見るとたいした問題ではないということを伝えたかったのではないかと思います。そして、「小さく死ねばよい」ということは自分が今抱えていることを投げ捨ててしまえば良いんだよということのメッセージだと思います。投げ捨てることで、周囲の人や社会に多少の迷惑はかかるかもしれませんが、それこそ3日も経てば元通りになっていくものではないでしょうか。
泣くということ
「生きているが辛い」と感じるということは、何かしらに我慢を強いられておりストレスを抱えている状態になっているのだと思います。このストレスを解消するための方法として「泣く」という行為は我慢から自分を解放し、ストレスを解消するとても有効な手段になります。そして、ストレスが解消されることで思考回路は回復していき、落ち着いて自分が抱えている問題について冷静に考えてみることが出来るようになるのではないかと思います。
痛みや悲しみを大事にする
辛いと感じられることは、それだけ痛みや悲しみを感じることが出来るということの裏返しでもあると思います。もし、辛いと感じその痛みや悲しみを感じ取れたのなら、それを自分から他人にすることは無いと思います。そして、周りの人で同じような痛みや悲しみを感じていたのなら、きっと助けてあげることが出来るのではないでしょうか。つまり、痛みや悲しみを感じとれたということは、それだけ優しくなれたということなのだと思います。
そうした痛みや悲しみは捨て去るのではなく、大事にしたり、困っている人がいたら助けてあげることできっと役にたつのだと思います。そうして、どんどん次につながっていくのだと思います。
人はいつかは死ぬもの
どんな人でも生まれ、そして死んでいきます。それは何億年という年月で何千億人という人たちによって繰り返してきたことであり、私たちはその一部に過ぎません。
人生は嬉しいこと半分、辛いこと半分なんていいますが、私は辛いことの方が多いように感じます。しかし、人生生きていれば一つぐらいは嬉しいことはあるものです。人はいつかは死ぬのです。それまでの間嬉しいことが何個あるだろうかということを考えていけば、少し前向きに生きていけるのではないかなと思います。
まとめ
森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」は聞き終わるととても優しい気持ちになれる歌だけでなく、生きてることが辛くなった時に、もう一度頑張ろうという気持ちにさせてくれるとても良い曲です。
それでは、ぜひ皆さんにも聞いて欲しいなと思います。
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