【雑考】なぜ非難をしてしまうのか?非難することからの脱却方法

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なぜ人は非難をするのでしょうか?

現代ではインターネットやSNSが発達してきたおかげで、個人が自分の考えや意見を発信することが出来るようになりました。このこと自体はとても良いことだと言えますが、その反面個人による個人への攻撃にも近い非難が増加する要因にもなっているのではないかと思います。

最近では、岡村隆史さんが女性軽視の発言でネットニュースなどで取り上げられ、激しい非難の対象とされました。深夜のラジオだったとはいえ内容は配慮を欠いた部分はあったかもしれません。しかし、冷静に考えてみるとそこまで非難されるようなことだったのでしょうか。有名人が少しでも失言をしようものなら、それみたことかと揚げ足をとり謝罪しろと炎上する。それに追従するようにネットでも記事を書き、さらにヒートアップさせていく。このことに何の意味があるのか今一度考えてみる必要があると思います。

今回の岡村さんの発言で一体誰が傷ついたのか?女性はこの発言によって傷ついたのか?岡村さんはどのように配慮しないといけなかったのか?有名人だからもっと配慮しないといけなかったのか?

まだまだ考えなければならないことはたくさんあると思います。他人を非難するということはこれらのことを考えた上でするべきだと思います。人のすることに失敗はつきものです。もし気がついたのなら誰かが指摘してあげ直せばよいだけではないでしょうか。そして、配慮が欠けた発言はそれ以上でもそれ以下でもなく、岡村さん自身の品性や信用が失われてしまうということが問題なのだと思います。

そうだとしても、ついつい非難をしてしますのが人というものなのかもしれません。それでは、今回はなぜ人は非難をしてしますのかということについて考えてみたいと思います。

非難と批判

まずは、非難という言葉について知っておく必要があります。「非難」という言葉の意味を辞典で調べてみると、「相手の決定や間違いなど悪い点を責めたてること」とあります。「非難」と似た言葉として、「批判」という言葉がありますが、こちらの意味は「物事に検討を加えて、判定・評価すること」とあります。

「非難」は一方的でネガティブな印象であり何も生産性がないように思えます。それに対して「批判」という行為はまだポジティブな印象があります。私たちがもし誰かの発言や行動が許せないのであれば、「批判」という行為で問題点を伝えてあげることが必要になると思います。しかし、「批判」という行為には、自分自身が十分に他人から信頼された存在でなければ、逆に批判や非難の対象とされてしまう危険性があることに注意しないといけないのだと思います。

非難するという感情はどこからうまれるのか

人の行動には必ず動機や理由というものが存在します。ついつい自分が行ってしまう行動は、自分の内面や感情の表れでもあります。非難するという行動も当然ながら、自分の内面や感情の代わりとしてあらわれた行動の一つといってよいでしょう。では、どんな内面や感情の表れなのでしょうか。

承認欲求の表れ

非難という行為は、自分の正しさを声高々に発信し目立ち、そして誰かが共感してくれることを求めていることになります。これは一種の承認欲求の表れになります。承認欲求とは、他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという欲求であり、「尊厳・自尊の欲求」とも呼ばれています。また、現代のようにインターネットやSNSで情報を発信し、「いいね」や「コメント」などの共感を求めていくのも、承認欲求の表れでもあります。

自己防衛の表れ

非難という行為は、相手を一方的に責めたてることで不利な状況に追い込みます。これにより、自分の方を優位な立場に持っていこうとします。これは自分自身を守ろうとする自己防衛の表れになります。普段は温厚な人でも、追い込まれパニックな状態になってしまうと冷静さを欠き他人を攻撃してしまうことがあります。このように自己防衛は一種の本能的なものでもありますので、自分自身が追い込まれたり、困ったり、そしてストレスがたまったりすると、その逃げ口として無意識的に行ってしまう可能性があります。

しかし、相手を追い込むことで自分を優位な立場に持っていこうとすることは、本質的には自己防衛にはならないことを知っておく必要があるのではないかと思います。

悪意の表れ

純粋に悪意のみで非難し相手を落とし入れようとする人がいることを知っておかなければいけません。こうした人が行う非難は悪意の表れであり、それに何かしらの意味があるものではありません。

私たちは世の中の全員がもともとは善人であり、悪気があって悪さをしているのではないと思っているかもしれませんが、そうした人たちは一定数存在しています。悪意をもって非難という行為で攻撃してきたとしても、反応せず関わらないようにするのが一番です。相手が反応しないと分かったのなら、その内あきて他の対象を見つけていくでしょう。

非難するという行為から脱却する方法

非難という行為は、いずれの理由にせよ相手を一方的に責める行為であり、するべきでない行為の一つだと思います。そのため無意識にでも非難という行為を行う自分から脱却していく必要があります。

その脱却する方法とは、目標を持ち絶えず自分自身を成長させていくことだと思います。目標を持ち前を向き努力している人は、人のしていることに構っている暇がなく、非難という行為が無意識にでも上がることはないのではないでしょうか。そして、そうした人は他人の失敗や失言の本質を理解でき、本当に問題かどうかを判断することが出来るのだと思います。

もし、本当に問題だと判断したのなら、「批判」という行為で正しい方向性を指し示してくれるはずです。

岡村さんの発言の問題点とは

岡村さんは以下のような発言をして問題視されました。

コロナが終息したら、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから

「風俗嬢になる」ということが女性差別や侮蔑であり傷つけるということであれば、現在風俗で働いている人はどうなのでしょうか。風俗というものは、昔から存在しており社会からも認知された立派な職業の一つです。それを下に見て差別や侮蔑しているのは、「差別だ、侮蔑だ、謝罪しろ」と非難している本人たちではないかと思います。

岡村さんの発言で問題があるとすれば、新型コロナウイルスで苦境に立たされている人達に対して不快感を与えたことだと思います。これを女性軽視だと話を拡張して問題視するのは少し論点がずれていると思います。岡村さんが有名人だから、有名人ではないからというのは問題ではありません。ただし、国や組織の要職につかれている方は、一定の品性を求められるものです。そのため不適切な発言で品性を疑われ、現在ついている役職がふさわしくないということで非難されることはあるかもしれません。

今回の岡村さんの発言についてもし問題視しているのであれば、一方的に責めたてるのではなく、様々な側面から考えてあげどうしたら良かったかを伝えてあげることが大切ではないでしょうか。

まとめ

今回は、「非難」と「批判」ということについて考えてみました。非難してしまう自分から脱却するために目標を持ち前を向き努力していくといっても、なかなか実行できるのは難しいなと感じます。特に、日々の生活の中で我慢しストレスがたまってくると、愚痴という名の非難をついついしてしまっている自分がいます。

前を向いて成長していくことも必要ですが、そればかりだと疲れてしまう時があると思います。そうした時は、思いっきりはきだし、そしてまた前を向いていけば良いのだと思います。そうして、少しずつでも成長していけることが大事なのではないでしょうか。

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